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書道をやっていてとってもがっかりすることがある

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書道をちょっとは嗜む(たしなむ)程度のことがあるのだが、知人などと展覧会に行くと必ず聞かれることがある。

聞かれることは!

それは、「これ、何て読むの」と聞かれるのである。

そんな時「またか」と心で思いつつ笑顔でにこにこしながら、なんて書いてあるか説明するのである。

正直、まったくがっかりだ。

大切なのは作品を見てどう感じるかであり、なんて書いてあるか知ることではないのだ。

その作品を見て好きか嫌いか、ひきつけられるものはあるか、とっても感動する書なのか。

それともこんな作品2度と見たくないかなど、その書を見て感じることが大切ではないのだろうか?

もちろんそのように見られている方もいらっしゃる。

だが、大概は「これ、何て読むの」と聞かれるのがほとんどである。

どうしたものか?

これは、どうしたものか。

例えば絵画を見て、この絵は好きとか嫌いとか感じるだろうし、それぞれの方によって好みも違ってくる。

絵が好きでない方は、写真でもいいし映画でもなんでもよい。

違った芸術作品にあてはめることができるものだ。

映画だったらSFが好きとか、サスペンスが好きとかあるでしょうし、この監督は好きだけどこの監督は嫌いとかあることでしょう。

書道も同じことが言えるのではないか。

作品を見て好き嫌い、引き込まれると感じたり、すごく感動したとか、とにかく感じることがとっても大切なのだ。

もちろん、この作品は嫌いとかこの書家が書いた書は嫌いとかもあるでしょう。

つまり「これ、何て読むの」と言っていたのでは、英語を日本語に訳すことと同じように、草書や行書、かななどで書かれた言葉を訳しているだけになってしまう。

だからときどき、「おれは翻訳家か?」と思ってしまうこともあるのだ。

このように書道を行っていて、とってもがっかりすることがあるのだが、仕方がないことなのか…